不確実性はなくせばいいわけではない

穏やかな生き方

ローリー・サザーランドの「欲望の錬金術」を読んでいて、ある問いが浮かんだ。

この本は「不確実性が人を不安にさせる」という事例をいくつも挙げている。修理工がいつ来るかわからない、ウーバーが来るまで何分かかるかわからない——そうした不確実性を取り除くことで、人は穏やかになれると。

でも待って。不確実性は、いつも敵なのだろうか。

不確実性には、二つの顔がある

誕生日プレゼントの箱を開ける前の気持ちを思い出してほしい。中身がわからない。でもその「わからなさ」は不安ではなく、期待だ。もし事前に全部知っていたら、その喜びは半減する。

旅も同じだ。計画通りに全てが進む旅より、予期せぬ出会いや迷い込んだ路地の方が、後から記憶に残ることが多い。不確実性が生む感情は、文脈によってまったく違う。

違いは「自分が選んだか」どうか

取り除きたい不確実性は、自分がコントロールできないのに結果が自分に降りかかるもの。残したい不確実性は、自分が選んで飛び込んだものだ。

修理工を待つのは、自分では何もできない。待つしかない。その無力感が不安を生む。一方、プレゼントを開けることは自分が選んだ行為だ。

穏やかさと不確実性は共存できる

穏やかに生きることは、全てをコントロールすることではない。むしろ、どの不確実性を手放してよくて、どれを大切に抱えるかを選ぶことだと思う。

今あなたが感じている「わからない」は、取り除くべきものですか?それとも、大切に抱えていいものですか?

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