人を傷つけたくない。自分も傷つきたくない。
ずっと、そう思っていた。
誰かの言葉に傷ついたり、自分の言葉で誰かを傷つけたかもしれないと思ったりすると、胸の奥がざわつく。もっと上手に言えたのではないか。あの場では黙っていればよかったのではないか。そう考えているうちに、人と関わること自体が、少し怖くなっていく。
けれど、人と関わる以上、摩擦は生まれる。誤解も、すれ違いも起きる。傷がまったくつかない関係は、たぶん存在しない。
「傷つけてはいけない」という思いの奥には、優しさがある。人を大切にしたい気持ちも、自分を守りたい気持ちもある。ただ、それが強くなりすぎると、いつのまにか自分を縛る言葉に変わっていく。
相手の顔色を見すぎる。言葉を選びすぎる。本音を飲み込む。相手の反応を、自分の責任として背負いすぎる。一見、優しさのように見えて、本当は自分を少しずつ消しているのかもしれない。
大切なのは、誰も傷つけない完璧な人になることではないのだと思う。傷つけたかもしれないと気づいたときに、立ち止まれること。傷ついたときに、その痛みをなかったことにしないこと。無傷でいることよりも、そこに戻ってこられること。
子どものころの安心は、「守られているから大丈夫」だったのかもしれない。でも、大人になってからの安心は、少し違う気がする。何も起きないことではなくて、起きても、そのままの自分でいられること。うまく言えなかった日も、揺れた日も、自分の感覚に戻ってこられること。
近づくことも、離れることも、選び直すことも含めて、自分と相手を粗末に扱わないでいられたら――と思う。
いま、自分の中に、戻ってこられる場所はあるだろうか。
傷つけたくない、と思っていた
自己理解

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