「あなたは冒険心のあるタイプですか?」
そう聞かれて、はいと答えた後のことを想像してほしい。
その直後に、見知らぬ人から頼みごとをされたとする。断りにくくなっていないだろうか。
これは偶然ではない。一度「冒険心がある自分」を受け入れると、それと矛盾する行動、つまり断るということが、自己イメージを壊す脅威になってしまうからだ。
なぜ人は、こんなにも自己イメージにこだわるのだろうか。
その答えは、はるか昔にさかのぼる。
人類が長く生きてきた環境では、集団から排除されることは死を意味していた。一人では獲物も獲れず、外敵からも身を守れない。だから「自分は集団の中で価値ある存在か」という問いは、文字通り生死に関わるものだった。
自己イメージへの脅威が、即座に強い恐怖反応を引き起こすのはその名残だ。
現代では自己イメージを否定されても命には関わらない。しかし脳は、象徴的な脅威と物理的な脅威を、いつも冷静に切り分けられるわけではない。まるで、危険に出会ったときのように、心と身体が身構えてしまう。批判された、間違いを指摘された、恥をかいた。そのたびに、かつての生存本能が静かに反応している。
だから人は無意識に、自己イメージを守ろうとする。
そしてここに、静かな罠がある。
一度受け入れた自己イメージを守るために、人はそれと一貫した行動を取ろうとする。心理学では「一貫性の原理」と呼ばれるような働きが、ここにあるのかもしれない。冒険心があると答えた自分を守るために、頼みごとを断れなくなる。その行動を、自分で選んだと感じながら。
アイデンティティを強く握るほど、実は自由を失っていく。
かといって、アイデンティティを捨てればいいわけでもない。自己イメージが弱すぎると、今度は不安から、自分を肯定してくれる言葉ばかりを探してしまうことがある。強く握りしめても、曖昧にしすぎても、どちらにも罠がある。
では、どうすればいいのか。
握らず、でも捨てもしない。
その余白の中に、本当の選択があるのではないかと思う。自分はこういう人間だと固定せず、しかし腑に落ちない感覚は大切にする。その静かな緊張感の中にいることが、操作されない自分でいるための、一つの答えかもしれない。
もし「自分らしさ」という言葉に少し疲れているなら、
自分の感覚に戻ることも、ひとつの小さな選択なのかもしれません。
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