自分の感覚を、信じていい

人はどこかに、帰れる場所を必要としている。
疲れたとき、迷ったとき、誰かの言葉に傷ついたとき。ふと戻れる場所が、自分の中にあるかどうか。それが、その人の選択の質を静かに決めていると思う。
私が育った環境では、自分の意志はあまり必要とされなかった。どこに行くか、何を学ぶか、どう過ごすか。気がつけばすでに決まっていた。私が「こうしたい」と言っても、それが反映されることはほとんどなかった。悪意があったわけではないと思う。ただ、私の感覚が、最初から計算に入っていなかった。
そういう環境の中で、私は少しずつ、外側に安心を求めることをやめていった。
外側は変わる。人も、状況も、関係も。外側に安心できる場所があっても、それだけではどこか不安定だと、どこかで感じていた。だから自然と、内側に向かっていった。誰にも見えない場所に、静かに自分の居場所を作るように。
それは劇的な変化ではなかった。ただ、少しずつ、自分の感覚を無視しないようになっていった。嫌なものは嫌だと、内側でだけでも認めるようになっていった。
やがて私は、親と距離を取ることを選んだ。傍から見れば、非常識な選択だったかもしれない。経済的に考えれば、合理的でもなかった。それでも選んだのは、自分の感覚が、もうそこには戻れないと静かに告げていたからだ。
その後に訪れたのは、後悔ではなかった。むしろ、もっと早くそうすれば良かったという感覚だった。何をそんなに恐れていたのだろうと思うほど、離れてからの方が穏やかだった。
ここで気づいたことがある。
自立とは、一人で生きることでも、強くなることでもないと思う。自分の感覚を、無視しないこと。それだけが、本当の意味での自立に近いのではないかと。
人はよく、常識や周囲の期待を基準に選ぼうとする。それは安心感をもたらすように見えて、実は自分の感覚からどんどん遠ざかっていく道でもある。外側の基準で選び続けるうちに、本当はどうしたいのかが、わからなくなっていく。
内側に安全な場所があるとは、そういう時に戻れる場所があるということだ。答えを持っている場所ではない。ただ、本当はどう感じているかを、静かに確認できる場所。
あなたの感覚は、正しいかどうかより先に、あなたのものだ。それを信じることから、選択は始まると思っている。

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