問い続けると、不思議なことが起きる。
なぜ人は見たいものしか見ないのか。なぜ自己イメージにこだわるのか。意識より前に動くものは何か。そう問い続けていくと、やがて言葉が届かない場所に辿り着く。
人は何かを選ぶとき、その選びには根拠があると感じている。しかしその根拠はどこから来るのだろうか。経験から来るのか。価値観から来るのか。それとも意識より前に体が知っていることから来るのか。
どこまで遡っても、答えは出てこない。
ただ一つ、気づくことがある。
その選びを生み出しているものの中心に、外から押しつけられたものではない何かがある。長年かけて育ててきた感性、腑に落ちないことを放置できない性質、静かな違和感を大切にする感度。それらはすべて、その人を静かに形づくってきたものなのだと思う。
何かを成し遂げたから価値があるのではない。誰かに認められたから根拠があるのでもない。
ただ在る。その事実の中に、すでに何かがある。
それを言葉にしようとすると、するりと逃げていく。
在ることそのものに、すでに何かが含まれているとも言える。
在ることに根拠があるとも言える。でもどの言葉も、少しずつ足りない気がする。
おそらくそれは、言葉より前にあるものだからだ。
問いを重ねた果てに、言葉が届かない場所がある。
でもその場所に、確かに残るものがある。
言葉にはならないけれど、たしかにそこにある。
言葉になる前に、そこにあるもの
自己理解

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