ある本にこんな話が書かれていた。
著者は若い頃、パーティーで手相占いを得意にしていた。手を見せてもらうと、その場がなごやかになる。そう思って覚えたのだという。
最初のうち、手相を見てもらいたがる人が列をなした。しかし著者はやがてそれをやめてしまった。理由は、占いが当たりすぎたからだ。
著者が使っていた言葉は、実はほとんど誰にでも当てはまるものだった。「頑固な面と、柔軟な面の両方を持っている」「表に出さないが、内側に豊かな感情がある」。そう言われると、人はなぜか自分のことを言い当てられたように感じる。
なぜだろうか。
それは占い師に特別な力があったからではない。人は無意識に、自分に当てはまる部分だけを拾ってしまうからだ。外れた部分は自然と流れていく。残るのは、当たった記憶だけだ。
これは占いの場だけで起きることではない。
日常の中でも、私たちは見たいものを見て、見たくないものを自然と流している。自分の判断を裏づける情報には敏感で、それを揺るがす情報には鈍くなる。
悪意があるわけではない。脳がそのように作られているからだ。すべての情報をフラットに処理しようとすると、膨大なエネルギーがかかる。だから既存の信念に沿ったものは「すぐ通す」、そうでないものは自然と後回しになる。
占い師の言葉に深くうなずいたあの瞬間も、実は自分自身がそう感じさせていたのかもしれない。
ふとした瞬間に、問えるといいと思う。
今の自分は、見たいものだけを見ていないだろうか、と。
その問いは、責めるためにあるのではない。ただ少しだけ、自分の見え方を疑える余白を持つために。
占いは、なぜ当たって見えるのか
自己理解
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