本当の理由は、少し奥にある

ロリー・サザーランドという広告の専門家が、こんなことを言っている。ある行動が不合理に見えても、その行動の本当の目的を考慮するまで、不合理だと決めつけてはならない、と。
たとえば、25万ポンドのフェラーリを毎日の通勤に使うのは、移動手段として見れば明らかに不合理だ。しかし、自信を与えるものとして、あるいは他者へのシグナルとして見れば、まったく別の話になる。食器洗い機の本当の価値は皿を洗うことではなく、汚れた皿を押し込んでおける人目につかない場所を提供することかもしれない。
これを読んだとき、私は少し驚いた。こういう見方を、したことがなかったから。
人が何かを買うとき、表向きの理由と隠された理由がある。そして興味深いのは、隠された理由を本人も知らないことが多い、という点だ。嘘をついているわけではない。ただ、言語化できていない。

自分自身に問い直してみた。
私はよくカフェで本を読む。なぜカフェなのか、と聞かれたら、静かに考えたいからだと答えるだろう。でも、もっと静かな場所はある。自宅でも、図書館でもいい。
それでもカフェを選ぶのはなぜか。
少し立ち止まって考えると、答えが見えてきた。静かすぎる場所では、思考が深まりにくいのだ。完全な無音の中では、静かさそのものが意識に張り付いてきて、かえって内側に集中できなくなる。静かさがうるさくなる、という感覚だ。
カフェの環境音は、その緊張をほぐしてくれる。コーヒーの香りも、人々の気配も、思考を邪魔しているのではなく、むしろ思考を自由に流すための余白をつくっている。
つまり私がカフェで本当に買っているのは、コーヒーでも席でもなく、適度なノイズだった。

「これは本当に何をしているのか」
この問いを持つだけで、見えてくるものが変わる。名前がついた瞬間に、私たちはそれが何であるかを知った気になる。食器洗い機、カフェ、フェラーリ。名前が思考を止めてしまう。
でも名前を一度外して、「これは自分の状態をどう変えているのか」と問い直すと、別の答えが現れる。
これは消費行動だけの話ではない。自分の行動全般に当てはまる。なぜあの人と会うのか、なぜあの習慣を続けているのか、なぜあの選択をしたのか。公式の理由ではなく、自分の状態がどう変わっているかを見ると、本音に近いところへ辿り着く。
自分に嘘をつかない、ということは、饒舌に自分を語ることではない。まだ言語化できていない本音を、焦らず丁寧に見ようとする姿勢のことだと、私は思っている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました